「 死生観 」の変化
「おばあちゃん、病院じゃなくて、家で最期を迎えたいんだって——」
ある寒い正月の夜。炬燵を囲む家族会議で、母がぽつりとそう言ったとき、私たちははじめて「死」について真剣に話し合いました。
これは、私が理事を務める訪問診療で聞いた話です。誰もがいずれは迎える人生の終わり。その時をどこで、どう迎えるか——かつては家庭内で自然に語られていたこのテーマが、現代では“話しにくいこと”になってはいないでしょうか。
本稿では、日本人の「死生観」の変遷と現代の課題、そして医療・介護の現場で今、求められる支援のあり方について考えてみたいと思います。
祖母の時代の死生観―“死”は暮らしの一部だった
昭和30年代。お年寄りは自宅の畳の上で、親族に囲まれながら静かにその時を迎えていました。自宅での葬儀、近所の人々の手伝い、子どもたちも当たり前のようにその場に立ち会っていました——日本人の死生観というものは、「暮らしの中の死」が、ごく自然に存在しているものだったのだと思います。
当時の日本人の死生観は、仏教の「無常観」や神道の「穢れ」思想に支えられており、死は「恐れるもの」ではなく、「つながりの中にあるもの」として受け入れられていました。
医療の進歩と“死”の分離
高度経済成長とともに、核家族化が進み、都市部では隣近所とのつながりも希薄になっていきました。同時に、医療の発展は寿命を延ばし、「死の場」は病院へと移りました。1970年代になると、その割合は半数となり、2000年代には8割以上が病院で亡くなられるようになったのです。医療の中に“死”が組み込まれ、家族からそのプロセスが切り離された結果、私たちは「どう死ぬか」を考える機会を失ってしまったのかもしれません。
再び注目される「在宅での看取り」
そして、国が掲げる「地域包括ケアシステム」のもと、医療と介護が連携して高齢者を地域で支える体制づくりが進められてきました。その取り組みの一環として、在宅医療や訪問看護の体制も徐々に整備され、今では「自宅で最期を迎える」という選択肢が、再び現実味を帯びてきています。
実際、私の知人の父親も、末期がんと診断されたあと、自宅での療養を選ばれました。訪問看護師が毎日訪問し、家族は交代で付き添いながら支え続けたそうです。最期のときには、本人が好きだった演歌をスマートスピーカーで流しながら、静かに旅立たれました。
「本当に大変だったけれど、“ありがとう”って何度も言ってくれた。その言葉に、すべてが報われた気がします」——知人のその言葉には、在宅で見送ることの意義と温かさがにじんでいました。
「在宅」は理想だが、現実は厳しい
とはいえ、すべての人が「自宅で最期を迎える」という選択ができるわけではありません。
高齢の夫婦だけで暮らしていたり、子どもが遠方に住んでいたりする家庭も多く、介護に必要なスキルや時間、そして何より経済的な不安が大きな壁になります。
ある特別養護老人ホームの看護師はこう語っていました。
「ご家族は“本当は家で…”とおっしゃることが多いのですが、夜間の体位交換や排泄介助、呼吸が苦しそうな時の対応など、家族だけで担うのは本当に大変です。」
現実として、「在宅での看取り」が望まれている一方で、それを支える地域の医療・介護体制や人的リソースはまだまだ不十分です。
さらに今の高齢者世代は、年金や退職金、不動産などある程度の資産を持っている方も多く、有料老人ホームや高齢者住宅に入ることが可能なケースが比較的見られます。しかし、これから高齢期を迎える次の世代は、バブル期以降の経済変化や年金制度の不安定化の影響を受けており、同じように有料施設に入る余裕があるとは限りません。
このように、「在宅でもない」「施設にも入れない」という新たな課題が、すぐそこまで迫ってきているのです。今後は、個人や家族だけでなく、社会全体で“人生の最終章”をどう支えていくかを考える必要があるでしょう。
“死”を地域で支える社会を目指して
「死」はもはや、個人や家族だけで抱えるものではありません。これからの社会では、地域全体で支え合う仕組みがますます求められています。
そうした中で注目されているのが、「人生会議(ACP=アドバンス・ケア・プランニング)」です。これは、本人・家族・医療・介護関係者が繰り返し対話を重ねながら、「どう生きたいか」「どう最期を迎えたいか」を共有する取り組みです。あらかじめ意思を確認し、支援者と共有しておくことで、本人の望む生き方・逝き方が実現しやすくなります。
実際に、ある地域では「看取りカフェ」と呼ばれる集まりが開かれ、住民たちが思い思いに「自分の最期」について語り合う機会が設けられています。「猫と一緒に」「孫が描いてくれた絵を部屋に飾って」「好きな音楽を流して」―そんな小さな願いが自然と語られ、地域全体でその思いを受け止めようとする空気が生まれているのです。
こうした場で語られる一言一言が、まさに“人生会議”の入り口です。特別な手続きや医療知識がなくても、対話を重ねることから始められる。
「死」を語ることが、「どう生きたいか」を考えるきっかけにもなる——その価値を、地域で共有することが、これからの看取りのあり方を大きく変えていくのではないでしょうか。
おわりに——“死”を語ることは、“生”を見つめること
ある医師が、こう教えてくれました。
「死に方を考えることは、生き方を考えることでもある——」
私は、その言葉が、ずっと心のどこかに残っています。
誰かの最期に立ち会った経験があるわけではありません。でも、“死”というものに向き合うたび、そこにはただ悲しみだけではなく、「どう生きるか」という問いがそっと隠れていることに気づかされます。この時代に生きる私たちは、病院でも、施設でも、自宅でも——最期の時間を「自分らしく」過ごせる可能性を、少しずつ手にしつつあります。それは、ほんの数十年前には難しかったことかもしれません。
だからこそ、「どこで、誰と、どんなふうに生ききりたいのか」を、元気な今のうちから話し合い、考えておくことが大切なのだと思います。それはきっと、誰かの最期を支えるためだけでなく、自分自身の生き方を見つめ直すきっかけにもなるからです。
たとえ特別な出来事がなくても——
日々の小さな対話の中に、人生を豊かにするヒントは、いつも静かに息づいているのです。
この記事の執筆者

事務長さぽーと株式会社
代表取締役 加藤隆之
医療法人おひさま会 事務局長・理事、中小企業診断士、MBA
病院向け専門コンサルティング会社にて全国の急性期病院での経営改善に従事。その後、専門病院の立ち上げを行う医療法人に事務長として参画、院内運営体制の確立、病院ブランドの育成に貢献。M&A仲介会社(日本M&Aセンター上席研究員)を経て起業。現在は、病院・企業の経営支援の傍ら、アクティブに活躍する病院事務職の育成を目指して各種勉強会の企画・講演・執筆活動など行っている。共著に「事例でまなぶ病院経営 中小病院事務長塾」「事例でまなぶ病院経営 事務管理職のすすめ」がある。