「高齢者が“怒りっぽくなる理由”――『老害』と呼ばないで」

11月11日は介護の日

「高齢者が“怒りっぽくなる理由”――『老害』と呼ばないで」

最近、「高齢者が機械を使えない」「レジで時間がかかる」など、日常の中で困っている姿を目にする機会が増えました。

その一方で、一部の若者の中には、高齢者が機械を使えなかったり、変化についていけなかったりする姿を見て「老害」と呼ぶ人もいます。

しかし――機械を使えないことや、新しい変化に戸惑うことは、果たして「悪いこと」でしょうか?

答えは、「いいえ」です。そして「老害」という言葉を使うことも間違いです。

広辞苑によれば、「老害」とは「老人による害」「硬直した考え方の高齢者が影響力を持ち続け、組織の活力が失われること」とあります。多くは社会の仕組みや組織の中で使われる考え方であり、一般の日常生活に用いる表現ではありません。

 

しかし現代では高齢者だけの問題ではありません。今では若い世代の中でも、学生や社会人が先輩の態度を指して「若き老害」と呼ぶことさえあります。

背景には、コロナ以降の社会の変化があります。

「ソーシャルディスタンス」が定着し、人との関わりよりも「個」を重視する社会になりました。

自分で考え、自分で動き、自分で責任を取る。そんな風潮の中で、他者の行動に対して敏感に反応し、厳しい評価を下す傾向が強まったように感じます。そして、相手の言葉や態度を受け取るときの「感じ方の問題」の様でもあります。

今、社会の中で使われている、「老害」という言葉自体が、正しいとは言えない中で、社会が安易に「老害」という言葉が引用されてしまっている状況なのです。

高齢の方が機械を使えないことや、新しい変化についていけないことは「害」でも「迷惑」ではなく、むしろ社会の変化の速さに問題はないのでしょうか?

時代が大きく変わりました

コロナ以降、私たちの生活は一気にデジタル化が進みました。

病院の受付はマイナンバーカードで機械操作

スーパーのレジはセルフ化、そして無人化が進む

手続きはネット中心。

電話の問い合わせなども、自動音声での案内が増えました。
“対面でゆっくり説明してくれる場”が少なくなり、知らぬ間に「自分でやらなければならない社会」になってしまいました。

高齢者の多くは「教えてもらえばできる方」です。しかし、説明もなく急にやり方が変わることで、不安や戸惑いが生まれやすくなります

これは「能力の問題」ではなく、社会の仕組みの変化による“デジタル格差(デジタル・デバイド)”なのです。

高齢者の「怒りっぽく見える行動」の背景にあるもの

「昔はこうだった!」と強く主張したり、順番を待てずに声を荒らげたり…。
こうした行動だけを見ると“わがまま”に見えるかもしれません。

でもその裏には、いくつもの“理由”や“心の声”が隠れています。

「怒りっぽく見える行動」の背景

① 脳の変化(医学的な理由)

前頭葉の働きが弱まると、感情のブレーキがかかりにくくなります。
「わざと怒っている」のではなく、「怒りを抑えにくくなっている」こともあります。

② 心の不安・ストレス

高齢になるほど、健康の低下や役割の喪失、家族との別れなど、さまざまな「見えない喪失」を経験します。不安や孤独が積み重なると、不安やストレスから、ちょっとしたことで心が揺れ、怒りとして表に出ることがあります。

実は怒りとは、「悲しみや不安の裏返し」なのです。

③ 自尊心(プライド)を守りたい気持ち

「昔はできたのに、今はできない」――これは想像以上につらい現実です。
店員に教えられると「恥ずかしい」「できないと思われたくない」と感じ、怒りで気持ちを隠してしまうこともあります。

怒りは“弱さを守るための防衛反応”でもあるのです。

④ 身体のつらさ(余裕のなさ)

「聴こえにくい」、「見えにくい」、「痛い」、「疲れる」こうした身体の不調は、不安を感じ、また心の余裕を奪います。この心理状態がイライラや怒りに繋がることもあります。“配慮できない”のではなく、“配慮する余裕がない”のです。

⑤社会や環境の変化

今の社会は「早さ」と「効率」を優先します。
年長者を敬う文化が薄れ、「年齢に関係なくフラット」という風潮も広がっています。
その中で「自分は尊重されていない」と感じると、心が傷つき、怒りにつながることがあります。

⑥ 病気の影響(認知症など)

なかには病気が関係していることもあります。
たとえば「前頭側頭型認知症(FTD)」では、感情を抑える力や社会的マナーの意識が弱まることがあります。

これは性格の問題ではなく、脳の働きが変化して起こる症状なのです。

⑦ 「怒れば何とかなる」と学習してしまった場合

「怒ったら対応が丁寧になった」「声を荒げたら助けてもらえた」――
そんな経験の積み重ねで、「怒れば解決する」と無意識に覚えてしまうこともあります。これは年齢に関係なく、誰にでも起こり得ることです。

私も経験した親の介護

「お願い、お父さん、大きな声で怒らないで!」

私も、40年糖尿病を患っていた父の老後の変化に驚き、何度も「お願い、ここではやめて!」と思ったことがあります。

あの頃、私は心の中で何度もつぶやきました。

なんで年を取ると、こんなにも怒りっぽく、我慢ができなくなるのだろう。

父はもともと無口な人でしたが、ただ感情がたまると「ドカン!」と爆発する典型的な“昭和のお父さん”。そんな父が脳梗塞を起こしてから、さらに怒りっぽさが目に見えて増えていきました。

同行する私が、父の通院のたびに味わうは「ハラハラの時間」です。

長い待ち時間の総合病院で、「イライラの時間」を感じ、父のボルテージは次第に上がっていきます。

普通ならば、「まだかよ…」の連呼なのですが、この日は担当医師が救急対応などで外来診療を外れることもあり、特に父はボルテージが高くなり、椅子から立ち上がり、やがて受付に向かって歩き出し――

「なんのための予約だ! 2か月前から予約してるのに、なんで呼ばれないんだ!」と怒鳴り始めました。

その声に他の患者も呼応し、「俺もだよ!2時間も遅れてる」その声を聞き、若い受付の女性は涙をこらえていました。

私は思わず、「お父さん、なんで我慢できないの? 怒っても仕方ないじゃない」と声をかけました。すると父はプイと横を向いて黙りました。

そのときの私は、ただ恥ずかしく、情けなく、そしてなだめて伝えてもわかってもらえない、虚しさがありました。

当時は「老害」などという言葉も概念もありませんでした。また、私は時折耳にする「老害」という概念も言葉も嫌いです。しかし、その時の父に「お父さんそれは老害です」と言いたい気持ちでいっぱいになりました。

けれど今になって振り返れば、父の怒りは「病気による不自由さ」が大きかったのだと感じました。

糖尿病の合併症を抱え、神経障害でしびれがあり動きづらい足で歩き、網膜症で目も見えづらく、本などを読んで時間を過ごすこともできない。

すでに腎不全も起こしている体は鉛のように重かったでしょう。実は父の「イライラ」や「怒り」は悲鳴でもあったのだと今は少し理解が出来たようになりました。

今はもう父はいません。なぜ、この父の悲鳴をあの時に理解してあげられなかったのだろうと心残りです。

「怒りっぽいのは年のせい」「よい大人がなんで怒鳴るんだろう」父の「イライラ」や「怒り」を見るたびにそう思ってしまった私は、父の老いの辛さを今、自分が父の年齢に近づき気が付き始めています。

どんな社会も「人が人を救う」

本当に大切なのは「背景を見る目」です。イライラして怒鳴っている人を見たとき、

✕ 「迷惑な人だな」ではなく、
〇 「なぜこの人は怒らざるを得ない状態なのだろう?」

――と考えられたら、支え方も、関わり方も、きっと変わります。

もしかしたら、そこでかかわり方の答えが見つかるかもしれません。

高齢になることは「弱くなること」ではありません。

むしろ長く生きてきたからこそ、たくさんの経験と知恵を持っておられるのです。

ただ、脳や体、心、そして社会の変化が重なることで、誰でも「うまく振る舞えない瞬間」があるのです。

それは「わがまま」でも「迷惑」でもなく、“助けが必要なサイン”なのかもしれません。受ける側がご本人の気持ちや状況を理解して受け止め、思いやりの一言を伝えることで「イライラ」や「怒り」の気持ちはおさまっていきます。

社会の中で私たち一人ひとりの理解と支えがあれば、どの世代も心して、気持ちよく暮らしているのではないでしょうか。

どんなに世の中が便利になっても、結局「人の力」が必要であり、「人を救うのは人」なのです。

この記事は介護福祉士に監修されています

介護福祉士
青木 いづみ

母親の認知症をきっかけに、サービス業から介護の道へ転身。サービス業で培ったコミュニケーション力と、介護職員や施設長としての知識や経験を活かし、入居相談員として家族が抱える悩みに寄り添っています。介護現場の視点、利用者目線、専門知識を基にした丁寧な相談を行っています。