「life」をめぐる医療と福祉のちがい、そしてつながり
「うちの病院では“ライフ”と言えば命のことなんですけど、皆さんの現場で“ライフ”って聞くと、まず何を思い浮かべますか?」
ある勉強会で、医師と介護職、ケアマネジャーが一緒にディスカッションする機会があり、冒頭にこんな問いかけをしました。二十人ほどが円になって座り、ホワイトボードの真ん中には大きく「life」とだけ書かれています。少し沈黙があったあと、最初に口を開いたのは救急担当の若い医師でした。
「心臓マッサージですね。CPRとか、救命処置のイメージです。」
それに続いて看護師からは、「人工呼吸器」「昇圧剤」「延命治療」といった言葉が次々に挙がっていきます。彼らの頭の中では、「life=目の前の命の線をどうつなぐか」というイメージが、ごく当たり前のように広がっているのだと感じました。
一方で、介護職や生活相談員にマイクを向けると、少し違う言葉が出てきます。
- 「普段の暮らしですね。」
- 「お風呂に入ってスッキリした、と笑ってくれる顔。」
- 「朝のテレビ体操と、昼食後のおしゃべりの時間。」
ケアマネジャーの一人は、「その人らしい時間」と答えました。
同じ「life」という言葉を使っていても、医療の現場では“生命・治療”のニュアンスが強く、介護・福祉の現場では“生活・暮らし”のイメージが強い。このギャップが、現場でのすれ違いやもどかしさを生んでいるのではないか。そんなことを強く感じさせられた場面でした。
今回は、この「life」という言葉を手がかりに、医療と福祉での見え方の違いを、現場の具体的な光景も交えながら整理し、最後には「人生」という少し長いスパンでのlifeに話を広げてみたいと思います。
医療現場における「life」=命を守る・延ばす
急性期病院や救急の現場で、医療者が「ライフ」と口にするとき、その背景には「心拍があるかどうか」「血圧が保てているか」「あとどれくらい生存が見込めるか」といった、文字どおり“生命”に関する判断が横たわっています。
深夜の救急外来。救急車のドアが開き、「心肺停止です!」という声とともにストレッチャーが運び込まれます。医師はモニターの波形と血圧を確認しながら、「一度ショックいきます」と指示を出し、看護師は胸骨圧迫を続けます。そこには、「この数分でこの人のlifeが決まる」という、張り詰めた空気があります。
重い肺炎や心不全の患者さんに人工呼吸器や昇圧剤を使って集中治療室で管理する場面も同じです。あるいは、がんの進行を少しでも遅らせるために抗がん剤治療を追加するかどうか、主治医が家族と悩みながら話し合う場面もそうでしょう。こうした一つ一つの判断は、「lifeを守る」「lifeを少しでも延ばす」ための医療行為です。
医療者は、日々「できることは本当にもうないのか」「あと少し治療を続ければ回復の可能性はないのか」と自問自答しながら、ギリギリの線を探っています。集中治療室のカンファレンスでは、「この薬を増やすかどうか」「もう一度挿管を試みるか」といった会話が交わされ、その裏側には患者さんの命を預かる者としての強い責任と、「助けたい」という切実な願いがあります。
その一方で、こうした医療の「life」が前面に出るあまり、「もう少し楽に過ごしたい」「痛みや苦しみを減らしたい」という本人や家族の思いが、十分に言葉にならないまま置き去りになってしまう場面も少なくありません。いわゆる延命治療の問題は、その典型例だと思います。
「あと1週間は延ばせるかもしれない。でも、その1週間をどう過ごしたいのか。」
本当は、その問いに向き合うことが必要なのに、「できる治療があるならやるべきだ」という空気に押されてしまう。医療の「life」の強さゆえの難しさが、そこにはあります。
福祉・介護の現場における「life」=暮らしをつくる
一方で、介護施設や在宅介護の現場で「ライフ」と言えば、多くの場合「その人の日々の暮らし方」を指します。
- 朝何時に起きるのか。
- ご飯はどんなものが好きか。
- お風呂は湯船にゆっくり浸かりたいのか、シャワーでさっと済ませたいのか。
- 趣味は囲碁なのか、園芸なのか。
- それまでの仕事や家族との関係、地域とのつながりをどう続けていくのか。
ある特養では、職員同士の申し送りで「今日は畑の話をしている時間が長くて、とても表情が良かったです」といった記録が普通に出てきます。そこには、「生命の状態」だけでなく、「その人の人生の物語」を日々のケアの中で追いかけようとする姿勢があります。
介護の現場では、「この人はこれまでどんな人生を歩んできたのか」「これからどんなふうに毎日を過ごしたいのか」という問いを起点に、支援の内容を組み立てていきます。食事、排泄、入浴、移動といった基本的な生活動作は、その人らしい暮らしを支えるための“手段”であり、「生活の質(Quality of Life)」をどう高めるかが中心的なテーマになります。
例えば、長年大工として働いてきた男性入居者に対し、職員が小さな木工コーナーを作り、ネジ回しや紙やすり掛けができるように工夫したケースがありました。身体機能としてはリハビリ的な要素もありますが、周囲が一番大切にしていたのは「大工だった自分であり続ける」という、その人の誇りでした。これもまた、介護職が守ろうとしている「life」です。
命を支える医療的なケアももちろん重要ですが、介護・福祉の現場では、その先にある「どう生きるか」「どう暮らすか」という時間の質をより強く意識していると言えるでしょう。
「治療のlife」と「暮らしのlife」がぶつかるとき
この二つの「life」の見え方の違いは、現場で具体的なすれ違いを生みます。
例えば、重い嚥下障害がある高齢の患者さんに対して、医療側は「誤嚥性肺炎を防ぎ、生存期間を延ばす」という観点から、胃ろうや経鼻経管栄養といった選択肢を提示します。一方、介護現場からすると、「口から食べる楽しみをどこまで残せるか」「チューブをつけて過ごすことが、その人にとって本当に幸せなのか」という視点が強くなります。
実際にあったケースで、病院側は「これ以上誤嚥を繰り返すと命に関わります」と説明し、胃ろうを勧めました。しかし、介護施設の職員は、「この方は甘いプリンを食べる時だけ本当にいい顔をされる。そこを全部やめてしまうのは、あまりに寂しい」と感じていました。家族も揺れ動き、「命を優先すべきか、楽しみを優先すべきか」で何度も話し合いが繰り返されました。
医療の論理からすれば、「命が続いてこそ、生活がある」。
介護・福祉の論理からすれば、「どんなふうに暮らすかが、その人の命の意味をつくる」。
どちらも間違ってはいませんが、同じ「life」という言葉を使いながら、見ているものが少しずつ違うのです。だからこそ、「どちらのlifeを完全に否定するか」ではなく、「今、この人にとってどのバランスが良いのか」を一緒に考えることが大事になります。
退院支援や施設入所の場面でも同じようなことが起こります。病院側は「医学的に安定したので退院可能」と判断し、次の受け皿を探します。一方、受け入れる側の施設は、「この方の暮らしをどう設計するか」「職員体制の中で、どこまで医療ニーズに応えられるか」を慎重に考えます。
退院前カンファレンスで、病院のスタッフが「歩行は自立です」と説明しても、施設側が「トイレまで一人で行けるのか、夜間の移動はどうか」と細かく質問を重ねる光景は、あちこちで見られます。このときの「安定」という言葉の意味するところが、医療と福祉で微妙に違っていることも少なくありません。
大切なのは、「どちらが正しいか」を競うことではなく、「今この人にとって、どの『life』を優先するのがよいのか」を、本人・家族・医療・福祉が一緒に考えることだと思います。
三つ目の意味の「life」=人生という長い時間軸
ここまで、「life=命」と「life=生活」という二つの側面を見てきましたが、英語の「life」にはもう一つ、「人生」という意味があります。
振り返ってみると、医療も福祉も、結局はこの「人生」と向き合う営みではないでしょうか。
急性期の病院は、一見すると命の長さを扱っているように見えますが、本当は「この先の人生の選択肢をどれだけ残せるか」という仕事をしています。例えば、心筋梗塞から一命を取りとめた人が、その後も好きだった畑仕事に戻れるかどうか。脳卒中後のリハビリを通じて、再び孫と散歩に行けるようになるかどうか。医療は、「人生の物語の続きを描くための時間」を稼いでいるとも言えます。
介護や福祉もまた、目の前で起きているのは食事や入浴、レクリエーションかもしれませんが、その一つひとつは「その人が最後まで自分らしく生ききるための舞台づくり」です。できなくなったことを数えるのではなく、「今できること」「ちょっと工夫すれば続けられること」を一緒に探しながら、その人の人生の最終章を支えているのだと思います。
そう考えると、「life=命」「life=生活」は、実はどちらも「life=人生」という大きな円の中に含まれていると言えるのではないでしょうか。命があるから生活があり、生活の積み重ねが人生になる。そして、その人生にどう寄り添うかを考えるのが、医療と福祉に共通する役割なのだと思います。
おわりに:「life」に共通の言葉を見つける
先ほどの勉強会で、一人の看護師さんがこんなことを話してくれました。
「私たちはどうしても“命を救う”ことに意識が向きがちですが、介護の方々の話を聞いて、“この先の暮らし”をもっと想像しながら治療の提案をしないといけないと感じました。」
それに対して、参加していたケアマネジャーはこう返しました。
「私たちも、“この状態になるまで、どんな必死の治療があったのか”を知らないまま、生活の話だけをしてしまうことがあると気づきました。もっと病院の先生たちの思いも聞かないといけませんね。」
同じ「life」という言葉を、それぞれの立場から少しずつ違う意味で使っていた二人が、「人生」という三つ目の意味に立ち返ったとき、初めて共通の言葉が見つかっていく。その瞬間をそばで見ていて、医療と福祉が本当に向き合っているものは、やはり「人の人生」なのだとあらためて感じました。
- 「life」を命として大切にする医療。
- 「life」を生活として支える福祉。
- そして、「life」を人生として受け止める私たち一人ひとり。
医療も福祉も、本来は対立する存在ではなく、一人の人の人生に、少しずつ違う角度から関わっているだけなのだと思います。だからこそ、お互いの「life」の見え方を知り、言葉をすり合わせながら、一人ひとりの人生にとって最良の選択肢を一緒に探していける関係でありたい。そのための対話を、これからも大切にしていきたいと考えています。
この記事の執筆者
事務長さぽーと株式会社
代表取締役 加藤隆之
医療法人おひさま会 事務局長・理事、中小企業診断士、MBA
病院向け専門コンサルティング会社にて全国の急性期病院での経営改善に従事。その後、専門病院の立ち上げを行う医療法人に事務長として参画、院内運営体制の確立、病院ブランドの育成に貢献。M&A仲介会社(日本M&Aセンター上席研究員)を経て起業。現在は、病院・企業の経営支援の傍ら、アクティブに活躍する病院事務職の育成を目指して各種勉強会の企画・講演・執筆活動など行っている。共著に「事例でまなぶ病院経営 中小病院事務長塾」「事例でまなぶ病院経営 事務管理職のすすめ」がある。

